ネガティヴについて

職場の美大卒の先輩と話してる時。

 

美大はネガティブな人がとっても多いって。


「みんな、絵もすごい上手いし、それなりに頭もいいし、美大来れてるってことはそれなりに裕福だし、部活も強豪だったこともあったり、容姿もいいし、、、なのに、みんな夜になると死にたくなるんだって」

 

って言ってた。

 

 

たしかに、私が大学いた時も、夜になると死にたくなるって言ってたひと何人かいたかな。
もっといたのかな。

 

私もそういうネガティヴな気持ちになった時期があったから、
気持ちはちょっとわかる。
死にたくなるまでは行かなかったけど。

 

「わー、私こんな病み性だったらこの先の人生大丈夫かな?つら」
みたいな事は思ったことある。

 

 

たしかに、
アーティストとかがめっちゃネガティヴなんだけど、
作品は素晴らしかったりするみたいなひと、しょっちゅういるよね。


私はそういうのがかっこよく見えた時もあった。

 

歌とか、小説とか、絵とか。
救いようがないめっちゃネガティヴみたいなやつが、作品としておもしろいなって感じるものはたくさんあるし。


それで逆に救われるみたいなこともあったりするのかな?

 

 

でもその一方で、
ネガティヴで本当に身体の芯まで支配されちゃってるひともいて
生きているのも辛いし自殺したいって思っちゃうひとがいたり、
悲しいけど本当に自殺しちゃうひともいたり、、、。

 

ネガティヴは行き過ぎると劇薬だなってすごく思う。

 

 

 

あくまで私の話だけど

私が大学から制作をしてみて感じたことは、
自分のネガティヴ要素をバネにして制作することもできるけど、
そういうのでおもしろいのができるときもあるんだけども、、、

 

なんでかわからないけど、
ネガティヴで作ったものほど、
後々、自分のネガティヴな作品が自分を飲み込んで、
自分がもっとネガティヴになってしまうってことがめっちゃあった。

 

 

自分が自分の作品に飲まれてるという…

だからけっこう負のスパイラルで、抜け出すのも難しい。

 

 

そういうのって、自分が精一杯作ったものに限って、
飲まれやすい。

 

作品が、気づいたら自分の知らないところまで行ってしまってた、みたいな?


なんかこう書くとカッコつけてるみたいでイヤなんだけどさ(笑)

 


でも、作ってみたら
「あれ?自分こんなこと考えてたの?」
とか
「あれ?これほんとに自分が作ったもん?」
ってなることって、いい意味でも悪い意味でも誰にでも起こると思う。

 

絵とか芸術に限ったことじゃなく。

 

 

 

だから、いま、イナが昔の自分を振り返ってみて思うのは、

ネガティヴには限界があるんじゃないかな〜
(アキ,2020)
という言葉。

 

私の場合は、っていう話になっちゃうかもだけど、

 

やっぱりネガティヴには限界があると思うのだよ〜

 


ネガティヴをネタにしてしばらくはいけるんだけど、
だんだん辛すぎてもう何も作る気すら起きなくなる。

 

だからネガティヴにハマるとちょっと危険かなって。

 

 

 

そうは言っても、
ネガティヴにしか考えられない、
自分は鬱と一緒に生きていかないといけない、
どうがんばっても無理、
ってひともたくさん居ると思う。


そんな時でも、
あなたの話を聞きたがってる人が、絶対にどこかにいる!
から、
そういう気持ち無かったことにしないで書いたり描いたりしてとっといてほしいな〜と。


そしたら絶対どこかで誰かに貢献できるから〜と。

個人的には思うだよ。


ネガティヴで辛くて辛くてしょうがないって人がちょっとでも生きやすくなったらいいな。

 


それでは👅

 

f:id:iinaharna:20210225182853j:image

 

日本について思うこと④【就職後】

【就職後】

 

そうして、2020年の4月から、私は大学卒業してからの最初のキャリアを、日本でスタートさせました。

 

働いてみて感じることは、
思ってた以上に楽しい!
ということです。

 

 

なんなら学生の時よりもずっと気分良く暮らしている自分がいます。
学生の時よりメンタルも安定しているし、自由になれているって感じています。


学生の時は何をそんなに嫌がっていたんだろう、
今までの私のイメージは勝手なイメージ、
つまり『妄想』だったんだな、と今は思います。

 

いまこうして社会人側に立って、社会人をしている周りを見ると、
「あれ?みんな楽しそうだな?」
って思います。

 

よくよく考えてみると、実際に働いているひとの友だちも少なかったし、
私は「日本で働くのは辛い」という情報をわざわざ掴みに行っていたのかなと、当時の自分の視野の狭さを実感しました。

 

 

もちろん大変なことも時々はあります。
それは「日本で働くこと」ならではの大変さなのかどうかはわからないけど。

 

 

一番大変だったのは、
緊急事態宣言明けた後の6月に
いきなり職場の人から内部事情みたいなのを聞かされて、びっくりしちゃって職場行くのがとても辛くなっちゃったこともあったけど。(お医者さんからお薬をもらうくらい体調に響いた時期もあった)

まだその頃は日本で働くことに怯えてた頃だったのかな。

 

でも、徐々に、そんなに悪い職場じゃないってことがわかって、
その人のネガティブな見方をただ押し付けられてただけだったことが分かったから、
いまはもう、おかげさまで気にならなくなったけれども。

 

というわけで、
運良くとても恵まれた職場に就職できたおかげで、「日本で働くのそんな悪くないな」って思えました。


あれだけ文句を言っていた小娘が、こんなにいい職場に就職できたのは、私の守護霊様相当がんばってくださったんじゃないかなとさえ思います、、笑

私が神様だったらそんな奴の就職先は、文句の言いたくなる場所に導くと思うからです。

 

 

そして、実際に働いてみて気づいたのは、
「働く」と「学ぶ」の境界は自分で作っている
ということ。
他の人にとっては、とても当たり前のことなのかもしれませんが、私にとっては、これは大きな発見でした。


「みんなが言うほど全然悪くないじゃん!!」
というのが、私の日本で働いてみた感想です。


どうして日本で働くことにそういう偏見があって、広まってるのかと思えば、
だいたいそういう批判に走るひと(?)メディア(?)は、
「自分」と「その他大勢」で語ってることが大半だったのかな〜と思います。

 

うまく言えないけど、
「自分」と「一般人」を勝手に線引きして、
自分は特別だと思おうとする、みたいな。?

私がそうだったからようわかる。

 

そういうガヤが言ってるだけだったりするのに、
ポンコツ大学生だった私が勘違いして、
「日本で働くとはこういうものなのかー😥」って
風評被害みたいにいつの間にかなってる、みたいな。?


結局メディアで流れてる情報を聞いて、友だちの話も話半分でしか聞いてないから、
「大変そうだね」
で片付けられる。核心には迫りたくないから、それ以上認知が更新されることない。

 

そういう人に、「そんなに悪いもんじゃないよ」って言ってもあんまり響かないしピンと来ない。んじゃないかな?

でもそれってもったいないなあ、と思うわけです。


だからもう、メディアとかSNSとかで日本の働き方について、『批判だけ』するの、やめてほしい!

日本のセルフイメージを下げるのはいじめと同じだよ!と、いまは思います。

いいところもあるはずだよ!っていまは思います。

本当に当たり前のことなんですけどね。

 


日本は真面目な国だから、批判されたら治せちゃうと思う。
でも、その真面目で優しい性格で、卑屈にならないでほしいし、本来のいいところまで失くしちゃったりしないでほしい。

 

以前の私のように、
一個が嫌いになったら全部が嫌いになったり、
「日本ってここが変だよね」って強めに言われたら「たしかにそうだな」って思ってしょんぼりしたりとか、
そういうふうにネガティブな視線を自分や自分の生まれ育った故郷に向けないでほしいなって思います。


それがいま一番感じていることです。

 

まあ、まだ働き始めて1年も経ってない奴が何語ってるんだって感じですが。笑
なんだか最後に何が言いたいのか全くわからなくなってしまいましたが。😂

 

まあ
とりあえず。


どこにいてもワクワクときめいている大人であり続けたいなって思っています😌


そしてここまで育ててくれた伊勢原、神奈川・東京、日本が喜ぶ存在になっていきたいな。
故郷から離れたり、戻ったり、どこにいたとしても、いつでもそれは変わらず持ち続けたい。
何があっても、絶対に、責めたりディスったりしない!って心に誓いました。


日本がだいすきだー!
みんながだいすきだー!

 

以上、

【日本について思うこと】

おわりです。

 

読んでくれてありがとう


それでは👅

 

f:id:iinaharna:20210224182235j:image

日本について思うこと③【卒業研究後】

【卒業研究後】


卒業研究で自分の日本に対する見方や海外に対する見方と向き合っていく中で、また別の疑問が生まれてきました。

 

「本当に日本ってそんな嫌な国か?」

 

散々ディスってきたくせに何言ってんだってかんじですが、
卒業制作で本当にたくさんの人から本の感想を聞かせてもらって
「私の日本に対する認識を改めないといけないかもしれない」
とようやく思えたんです。

 

就職を通して「ああ、やっぱり噂のこれか…」と自分の持っている日本の嫌なイメージと重なる経験もしたし、
もうすでに働き始めた同期の様子を見ていたので、働く前の3月頃は、日本で働くことにプラスのイメージを見出せませんでした。


とにかくネガティブなイメージしかなくて辛かった。まだ見ぬ世界をただただ怖がっていたんだと思います。

 

「それなのに、日本で就職活動したのはなぜ?」って思うかもしれません。
「そんなに嫌なら他の国行けば?」って。


本当にそのとおりかもしれない。それも一つの戦略かもしれないし、実際にそうする人もいるし。

 

けれど、なぜかはわからないけど、
その時の自分は、
「日本で自分のやりたいことが実現できる場所があるはずだ」
って思い込んでいて、
それがあるのかないのか、自分の目で確かめてからにしたいってなんとなく思っていたんです。


だからきっと、日本で就職活動をしたのだと思います。あとシンプルに、キャリアない人が向こう行っても無理じゃね?っていうやってみなきゃわからないのに、そんなことも考えて、「とりあえず日本で働くか」ってなった気がします。

 

 

それから、もう一つ。
私の友だちには、
「日本で働きたくないから海外の学校にいく」
「日本は働かなければ最高」
という人が日本人にもスウェーデン人にも何人もいました。


「大変そう、かわいそう」と言われることの多い日本で働くことは、実際に「大変」で、本当に「かわいそう」なの?

あるいは仮に「大変で、かわいそう」な状況にあったとして、日本で働くことの価値ってそれだけなの?

 

 

そういう思いがどっかにありました。

 

 

第4章につづく、、、

 

 

日本について思うこと②【留学後の私】

【留学後の私の日本観】

 

日本に帰国してからの私は、スウェーデンとのカルチャーショックに日々苛立っていました。
とてもわがままだったんです。

 

帰国して1ヶ月後に教育実習があったり、家庭のことでいろいろあったこともあって、
日本の制度に飲み込まれざるを得ないイベントが立て続けに起こったのがこの時期。


たくさん泣き喚いて、家族やパートナーには本当に迷惑をかけました。

この不安定なメンタルは、たしか半年ほど続いたと思います。


日本に対するコンプレックスは改善するどころか悪化する一方…
「日本から逃げたい」「どうやったら海外に永住できるかな」とひたすらに考えていました。

そんな風にして過ごしながら、いつの間にか私は卒業研究のテーマについて考える時期になっていました。

 


2019年3月ごろです。
メンタルは落ち着いてきたものの、この苦しみに全然蹴りはついてませんでした。

「この苦しい気持ちをなんとかしたい」
「このねじれたアイデンティティを、もしかしたら誰かに共感してもらえるかもしれない」
と考えて
「物語を書きたい。物語を書くことでしか表現できない」
という考えに行きつきました。そうして、ほぼ強行突破で小説を書かせてもらえることになったんです。(デザインの卒業研究なのに)

 


いま思うと、小説というメディアを許してもらえたことで、
自分の内面的なコンプレックス(内的要因?)と日本に存在する問題(外的要因?)
つまり私が感じている問題は主観的なものなのか、客観的に見てそうなのか、
1年間みっちり考える時間を与えられて、本当に感謝だなと思います。

 

卒業制作のあと、本当にありがたいことにたくさんの方からメッセージをもらいました。メッセージをくれた人は日本人の人もいれば、留学生の人もいました。

 

沢山の人のあたたかいメッセージをもらって、
今まで怒りを向けてきたのは漠然とした私の「日本のイメージ」だったんだということに気付きました。
私はこんなにあたたかい人たちを生み育ててくれた日本に感謝しなきゃいけない

初めてそう思えました。


そして、この時点からはっきりと、私の疑問はまた別の方向に切り替わりました。

 

 

第3章につづく、、、

 

日本について思うこと①【留学前〜留学中の私】

私の中で、今までも、そしてきっとこれからもずっと永遠のテーマである「日本人に生まれたことについて」最近考えていることを話します。
長いので数回に分けて書きます。


本当に失礼な話、私は留学をする半年前あたりから、
めちゃくちゃ日本が嫌いで『日本コンプレックス』になっていました。
「日本が嫌いだから、とにかく離れたい」みたいなことをすごく思っていて、めちゃくちゃ傲慢な小娘でした。

 

それはいろんな国の人と出会うようになって、
日本と海外をよく比べるようになってから、始まったと思います。

 

自覚はしていなかったのですが、この「日本嫌い」の感情で自分で自分をずっとずっと長い間苦しめていたと思います。


最近はかなりこの苦しさは解け始めていて、むしろ日本に対する感謝が大きいのですが、私が持っていた「日本嫌い」は卒業研究のきっかけとなるくらい、自分の中で「日本人として生きていくこと」は切実なテーマでしたし、きっと今もこれからも、自分にとっての意味は変われど、そうであるような気がします。

 

 


【留学前〜留学中の私の日本観】


これだけ恵まれた環境で生まれ育ちながら、
具体的に何がそんなに嫌だったのかというと、
・政治家がクソ
・教育費にお金がかかりすぎる
・貧困の連鎖
・部活とか仕事とかの上下関係
長時間労働、低賃金
・自殺率の高さ
・満員電車
・制服やスーツ
・就活
・カスタマーハラスメント
・過剰な美容意識
…などが目について仕方がないという時期がありました。
大学2年生の終わりごろからです。

 

そのほかにも、自分では意識したことなかったけど、
「日本ってまだまだ男女不平等だよね」とか
「なんでこんなに政治に関心がない人が多いの?」とか
「なんで思ってることはっきり言わないの?」とか
「環境問題への意識が低すぎる」とか…
国際交流の場に出向くにしたがって、
様々な日本社会や文化に対する疑問とか問題点とかを
直球ドストレートで投げられると(もちろん聞いてくる留学生は一切悪気はないんだけど)
段々と自分も「たしかにおかしいよな」と思うようになり
他の国のいいところとかたくさん聞いていく中で、
いつの間にか日本のことがすごくすごくめんどくさくて嫌な国みたいに思えてきてしまいました。
(本当はそんなことない、と今は思います)

 

 

いまその時の自分を振り返ると、
自分自身に自信もがなかったから
何か自分と関係のあることを否定されたら
すぐにそれを鵜呑みにしてしまっていたのかなと思います。

日本のいろんな部分が勝手に自分のコンプレックスになっていて、
でも自分ひとりで変えられるものでもないし、どうしたらいいのかわからない。


日本から離れるしかないのかな、と思っていざ留学してみたけれど、
自分という人間から「日本」というアイデンティティをはがすのはどうやっても無理だし、(どうやったって他の国の人から見たら私は日本人だし、)
日本のいい面も悪い面もジャッジされるたびに、自分のことをジャッジされているみたいな感覚になって鬱になったりして。

重症でした…

 

そんな風に「自分は日本から来た」ってことを意識するたびに辛くなって、どうしても自分が日本人であることを認めたくなくて、日本で起きていることを他人事みたいに考えたいって何度も思っていました。


でもそれと同時に、日本人であることを都合よく使っている自分がいたのもわかっていました。海外で評価されている「日本ブランド」を見て安心したり、誇らしく思ったり。
すごく卑怯だったと思います。

 

とにかく海外の評価に振り回されていました。
それが、留学前〜留学中の頃。


こういう気持ちになっているひと、またはなったことある人って、どのくらいいるんでしょうか?

 

きっと私だけじゃないような気がしますが、

みなさんどうでしょうか。

 

 

第2章につづく…

 

コロナとお金💸

コロナ禍で変わったことのひとつ。

それはお金の落とし方。つまりお金の使い方です。

 


コロナになるまで、お金の行方について、お金の喜ばれ方について、私は考えたこともありませんでした。

お金はできれば使わない方がいいし、無駄遣いしたくない。

そう思って生きてきました。

 


でも、

コロナ禍で生活が苦しくなったり、思うような生活ができなくなったりするひとやお店や街がある。

 

 

 

私は2020年に沖縄に2回行きました。

 


2020年の沖縄トリップで変わったことのひとつは、

東京でも買えるものをあえて現地で買ったこと。

 


たとえば、

絆創膏とか

試してみたかった洗顔料とか

カメラのフィルムとか

リップとか。

 


もちろん地元のお店でしか買えないものも買わせてもらったけど、

どこでも、チェーン店で買えるようなものを、

今回は沖縄行く前にリストアップして買いました。

 


同じ値段を払って同じものが手に入るなら、

どうせなら沖縄でお金落とそ

って思ったんです。 

 


なんなら沖縄で買う方が高くてもいい!

とにかく沖縄にお金を落としたかったー!

ただそれだけ(笑)

 


いま私の元にある沖縄で買った

どこでも買えたモノたちは、

「あ〜これ、那覇のマツキヨで買ったやつだ♩」

という、ちょっとしたときめきを私にくれます。

 


モノたちからも

「私たち沖縄から選ばれて来たの!」

っていうプライドを感じるんです。

 


感じるだけですが(笑)

 

 

 

コロナ禍は私にお金の落とし方の、ちょっと違ったやり方を教えてくれました。

 


そうしたら、

日頃のお金の使い方も変わった気がします。

家族が喜ぶかなー

とか

ひじき(愛猫)が喜ぶかなー

とか

会社の人が喜ぶかなー

とか。

家計簿を見返したら、

ただ自分のほしいものだけじゃなくて

誰かを喜ばせたいなと思ってお支払いしたお金が記録されてた。

 


幸せだな〜

 

 

 

 


好きなひと、

好きなお店、

好きな街、

お気に入りを応援したい📣

 

 

 

お金さん、ありがとう〜

 

 

 

 

 

f:id:iinaharna:20210215174940j:image

【読書記録】幸せになる勇気

こんにちは📚

 

今日は「幸せになる勇気」についての読書記録を書いていきます!

 

f:id:iinaharna:20210131173750j:image

 

https://www.amazon.co.jp/dp/4478066116/ref=cm_sw_r_cp_awdb_imm_c_R0PHFMTBQTHF57VBHG0N

 

 

「幸せになる勇気」は「嫌われる勇気」の続編ですね。

 

幸せになる勇気、タイトルがなんとなく恥ずかしくて読むのを躊躇っていたんですけど(失礼)、

読んでみたら、「これは教育関係のひとにとっては役立つかも!」と思いました👩‍🏫

 

なぜなら、

嫌われる勇気を読んだことがあるひとは知ってるかもしれませんが、

あの図書館で働いていた青年がなんと教師になって再登場〜👏するのです。

 

そこで、アドラーのいう「褒めない、叱らない」教育を実践したら学級崩壊したんだけどどうしてくれるんじゃ、

という青年のクレームから始まります。

 

とはいっても、ここで哲人の言う回答は、すでに毎日子どもを相手にしている先生方であれば、何も考えなくても自立を促せたり、子どもと対等な関係を築くための会話ができていたりするんじゃないかな?という気がします。

少なくとも私の知っている先生になった方々は、私なんかよりずっとずっとそういうことを実践して肌身に身につけているだろうな、という確信が持てるので、そういう方にとっては、この本は「新しい知識を得る」とかではなく、どちらかというと「確認作業」的な読み方になってくるのかなと思いました。

 

 

ということで、「幸せになる勇気」を読んで私が印象的だったことを2つほど挙げていきたいと思います。

読もうかな〜と迷っている人はぜひ参考にしてください♩

 

①問題行動には5つの段階がある

問題行動には5段階あると、書かれていました。

第一段階 称賛の要求

第二段階 注目喚起

第三段階 権力争い=反抗・不従順

第四段階 復讐

第五段階 無能の証明

以上が問題行動の五段階です。

それぞれの段階の詳細は本を読んでもらいたいのですが、

第四段階以上になると、もしあなたが復讐を受けている(何をやってもあなたの嫌がることをしてくる)という段階なら、あなたにできることはもうないので、専門家や第三者の助けが必要!と書いてありました。

第四段階の復讐は、当人の目的は「あなたへの復讐」となってしまっているので、手を差し伸べようとすればするほどエスカレートするみたい。

 

うーん、🧐なるほど。

 

ここの部分を読んでいるときに、学童でバイトしてた時のことを思い出しました。

そのときはひたすら、私が嫌がることをされ続けていたなーと。

もうあの時点で、第三者の助けが必要だったのかな?

でも新人で入ってきた大学生みんなに対してそんな感じだったので、

彼らの目的は「学童そのもの」に対する復讐か、「大人たち」に対する復讐だったのかな。

 

毎日毎日問題が起きて、暴言を浴びせられることに、どうしても「まあ子どもだから仕方ないよね」とはなれなくて、耐えられなくて結局1ヶ月ほどで辞めてしまったんだけれど、、、。(ごめんなさい)

 

あのときは新しい大学生を試したいからわざとああやって酷いことを言って、そのうち心を開いてくれるものなのかなと思っていたけれど、

もしかしたらそうかもしれないけど、

でも、それってやっぱりいじめの心だよね。

 

「小学一年生ってやんちゃだねー」で片付けちゃいけない問題だったかもしれない。

 

こちらが我慢するよりも、

環境を変えたり、設定を変えたりして、

彼らの心をほぐす方法が見つけられたらよかったな。

 

いま彼らが元気で優しい心を取り戻していることを祈ります。

 

 

②普通であることの勇気

これは目から鱗でした!

普通であることの勇気、私これ持ててない、、😂

 

「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くのだそうです。

特別であればあろうとするほど、他人と比べることは必然的に多くなっていきますよね。

よくよく考えてみれば、私も大勢のなかのひとり。地球のなかのひとり🌏

わたしはわたしでしかない。

これまでもこれからも〜

 

コジコジがそんなようなことを言ってましたね。

 

たとえば、将来何になりたいか、職業は何かと聞かれること、

誰にでもあると思いますが、いまでも私はその「何者か」にならなければという固定観念があります。

「教師です」とか「デザイナーです」とかはっきり言えないといけない、みたいな考えがあるんです。

 

でも。私は何をやっても私。教師かもしれないしデザイナーかもしれない。教師じゃないかもしれないし、デザイナーじゃないかもしれない。

 

職業で区切られるはっきりとした意識を持つと自分がだんだん辛くなってしまうから、

そういう意識を自分に向けるのはよそうと、

「普通であることの勇気」のチャプターを読んで思いました。

 

人に説明するときはわかりやすく「○○です」ということにしても、

自分の心には言い聞かせないように。

できれば「一応○○ですけど、こういうこともやってて〜」と言えたらいいな。いや、言っていこう。

 

思えば、大学時代はそういうヘンな大人たちに囲まれていたかも。

 

そうなってもいいよ、というサインだったのかもしれません♩

 

 

 

以上、印象に残った2つでした!

 

いやー、

読んでからこうやってまとめてみると、

読後の満足感が違います。

 

興味がある方は本をお貸しすることもできるのでお気軽に言ってくださいね😄

 

ではではまた次の記事でお会いしましょう🌖